|プロフィール
氏名:西川 耕平(Kouhei Nishikawa)
所属:甲南大学 全学共通教育センター 教授
研究テーマ:人材開発、組織開発
人・組織において変化が起こる瞬間の要因やメカニズムをテーマに、「人が自発的に発達・成長する能力を育む組織的な取り組みという組織開発(OD)の視点から、ビジネス組織を社会変革のエージェントとして、持続可能な社会の繁栄に向けて、大胆に、しかし謙虚に取り組み続ける、人・組織・コミュニティー」に着目し、主に海外文献や実践データを基に、実現のための本質的な促進要因、阻害要因を研究。
 
また、一般社団法人日本ポジティブ心理学協会にてWell-being経営、ポジティブODやポジティブ・リーダーシップについての主任講師としても活動している。
【一般社団法人 日本ポジティブ心理学協会】
https://www.jppanetwork.org/podchange

|『Well-being』と『ワークライフバランス』等の既存の考え方との相違点について

─ まず一つ目の質問としまして「Well-being」と「ワークライフバランス」という既存の考え方との相違点についてお伺いします。
近年、日本企業においても「Well-being」というものがキーワードとして挙がる事が増えていますが、認識としては従来のワークライフバランス等の延長、または同義語であるというニュアンスをお聞きすることも多いのですが、西川先生の視点から「Well-being」と既存のワークライフバランス等々のキーワードとの違いについてお聞かせください。

そうですね…。
まずは英語圏の文献から照らしてみると、「Well-beingを高める取り組みをする」というのが、あまりしっくりしない感じですね。

 

─ 日本国内で言われている「Well-beingを高める取り組みを行う」という認識は本質から少しズレているというような…?

はい。
「“組織的に”Well-beingを高める」と言うのは、企業の独善的な視点から研修・指導・教育を通じて、組織全体で社員一人一人のWell-beingを推進すると言うものでしょうか。
もちろん社員の健康を配慮する点では良い面もありますが、企業が個人のWell-beingを高める、マイクロマネジメントするのはおかしな感じがします。

─ それは例えば「企業が用意したもの“のみ”でWell-beingを高めなさい」という構図が出来上がっているからでしょうか?

そう思います。
どこまで行っても重要なのは「個人」のはずです。
自らの意思で依存を統制できる人・組織・社会が重要視される時代に、「なぜ自分の幸せを他人に任せるのか?」という事ですね。

以前、「個人がいかに大事か」という点で、私がイギリスのNHS(National Health Service)のインタビューをした際に、「病気を治すか治さないかは患者本人の意思であり、病院側は本人が病気と戦う意思が高まるように支援するしかできない」と教えられました。

ですから、Well-being…つまりより良い状態であるためには、まずはその人個人の中のリーダーを自分で確立するところから始まるのではないでしょうか?

the National Health Service (NHS)
https://www.nhs.uk/
YouTube NHS UK
https://www.youtube.com/user/NHSChoices
NHS Leadership Academy
https://www.leadershipacademy.nhs.uk/
YouTube NHS Leadership Academy
https://www.youtube.com/user/NHSLeadershipAcademy

─ いわゆる「セルフ・マネジメント」というかたちでしょうか?

どちらかと言うと、「セルフ・ディベロップメント」や「リーダーシップ」ですね。

「セルフ・マネジメント」というと一定の物差しと客観的な目標があって、それを達成すれば終わりになりがちなので、「セルフ・ディベロップメント」がより良い形だと思います。

─ つまり、個々人が常に自身のリーダーシップを確立した状態がベースになっていて、その次に自身のWell-beingを高めるために何かしらの活動をする、というものが本来のあるべき姿であると?

はい、ないしは「自分自身のWell-beingを作り、その通りに生きる事」です。

そういう視点からすると、セルフ・リーダーシップが確立する前に、ひとつの企業内“のみ”で個人のWell-beingを高める取り組みを提供するのは、マイクロマネジメントのように依存や従属を生むだけで、本質的な当事者意識のある創造性は期待できないだろうと。

─ 確かに、個人のWell-beingという点においては、どこまでいっても個人領域ですから組織側が用意したもの“のみ”でサポートをするのは難しいのではないかと感じておりました。
という事は、企業が社員のWell-beingを支援、サポートする事はできないのでしょうか?

意外ですが、視点を変えるとできている企業はあるように思います。

─ という事は企業が実施する事自体はそこまで難しいわけではないと?

ごく普通にしていますね。

ひとつの企業事例を挙げれば、私が研究のためにインタビューした企業の一つである大阪の三和建設さんです。
実際に企業サイトを見れば分かりますが、この三和建設さんの企業哲学の一番の根本になるのが、松下幸之助の言葉とされるように昔からある「モノを作る前に人を作る」というもの。三和建設さんは100年残る様な安心・愛着をもって使われる普遍的な価値観を表現した建物作りを目指していて、そのために「仕事を通じてその哲学で生きている人を増やす事」を掲げています。
もちろん、哲学を理解する視点や方法は人によって違いますが、トップマネジメントを含めて、できるだけ多くの人が業務内外の生き方や取り組みから、自分の働く意味や意義を見出し、さらに高める機会を多種多様に提供している企業です。

実践内容としては、入社後1年間は社員寮に入ってもらい、同期の中で人間関係を作り、その大切さを自分自身の関係性から振り返るように配慮されているようです。
何より社長ご自身が、「人として、リーダーとして多角的に成熟しなければ、人の成長の可能性を組織的に促すような活き活きとした未来ある企業にならない」と公言して実践されている人ですね。

─ なるほど。先ほどのセルフ・ディベロップメントを自然に育めるように実践されているのですね。

セルフ・ディベロップメントの中のゴールは「Well-being」だけではなく、「徳」(Virtue)とか「志」(Purpose)もありますので終わりがない、そして自分の強みを生かした勉強方法が人によって違うように、普遍的な徳や志も、それらを高める方法は人によって当然違いますので、やり方も色々あるはずです。
ですので、まずは観念的な研修だけではなく、個々人が自分の身の回りでWell-beingや徳・志を高める日々の行いを通じて、自分の強みは何かを日常的に体得できるような取り組みをすべきだと思います。

そして、周囲の人が業務内外で、それらの取り組みを支えているかどうかもポイントになりますので、他者の成長に自分も貢献できるという喜びと、その刺激を通じて自身も発達・成長できるという“循環”が大事なのではないでしょうか。

 

─ つまりセルフ・ディベロップメントは個人の領域のみで完結するものではなく、他者も含めた全体的な領域で相互的に作用するもの、というイメージですね。

はい。
まとめますと、自発的に組織や社会に参加して、そこでの対話や活動を通じて、自分自身の存在理由と、活動している状況理解を自省的に確かめるというのが、健全な個人のレベルでのWell-beingを高めていく取り組みだと思います。

もうひとつ例を挙げますと、人を大切にする経営に関して必ず目にする企業の一つとして、徳島県の西精工さんがあります。
ここも人を大切にする経営で有名で、「毎日始業時の1時間チェックイン」という、毎朝自分が何をどのように取り組んで、どこまで実現したかを全業務の各チーム全員で共有し合うというものが一番の特徴とされています。
全社員で行うわけですから、おそらく緊急業務を除いてその間の業務は停止しています。

─ という事は生産ライン以外の業務もその1時間は完全に止まっている?

そうです、本社の事務スタッフも同じなんですよね。
「人の発達・成長を大事にするためには、その次元まで踏み込まないと本物ではない」という一つの事例だと思います。
そうする事で、「会社は本気だ」と感じる人は日常業務を通じて自分を発達・成長させるのが職場だと思うでしょうし、業務の善し悪しを成長課題と理解する事で働く意味と生きる意味を見出していくのではないでしょうか。

─ 「我々企業組織としても社員の方が自己に向き合えるように場所、時間、機会を設けますからみなさんもそこを活用してセルフ・リーダーシップやセルフ・ディベロップメントを日常的に落とし込めるようにしていければ…」という形で組織的に推進していくイメージですね。

ハーバード大学教育学部のロバート・キーガン達が運営しているサイト (Developmental Edge for a Developmental Sprint® https://developmentaledge.com/)の資料に「すでに始まっている21世紀の組織では、個人は単なる雇われ人ではなく、民主社会における有権者のように、市民として当事者意識を持って組織や社会運営に参加する」というものがあります。
要約すると「自分自身の取り組みによって、自分の組織や社会が良くなるか悪くなるかに関わる権利と行動力と意思を持っている」という記述です。
かつての社会的に進む方向が決められていていた時代ではなく、現代のような全てがシステムとしてつながっている複雑な状況では、多様な個人の理解を基本に、現実の理解を深める事が大事だと思います。
そして夢・希望や利害・苦難を一人一人の成長と方法の独自性を最大限生かしながら、同時に組織の夢や希望に向けて連帯していくかが肝心になると思います。

─ 総括しまして、Well-beingとワークライフバランスはそもそも根本的に違うものである、そしてWell-beingは個人のセルフ・ディベロップメント、つまり個人が自分の中のリーダーシップを認識してその為の行動を自分自身で選択していくもの、という事ですね。

そうですね。
「Well-being」つまり、より良い状態を誰が作るかと言えば、それは本人です。

まずはその人自身が自分はどこから来て、何をして、これからどうしたいのかを、自分で考えて決める時間と機会を提供して自発的な発達・成長を体得する事が重要になります。
もちろん、全てを個人任せにするわけではなく、人によって取り組む意識や方法上の違いがありますので、形式的な方法ではなく、むしろ「自分独自の人生課題に向けた進み方を切磋琢磨する場と周囲の人達」も重要になると思います。

そのような考え方を手段として捉える際に必要なのが、「自分の行いが周囲のWell-beingが高まるきっかけとなる事で、自分の生きる意味や働く意味が高まる循環」です。簡単に言えば周囲の人が「ありがとう」と返してくれれば、もっと頑張ろうってなりますよね?
それらを周囲の人のWell-beingを高める努力と自分のWell-beingを高める努力とをいかに結びつけていくか、という事ですね。

私が思うに、そのためにまずは企業・組織のリーダーが「自分が変わると周囲も変わるし、周囲が良くなければ、自分も原因である」という関係的な存在を意識して物事に取り組むことが基本だと思います。
Otto Scharmer のAbsencingが指摘するように、ある問題を自分から切り離したらその問題は解決したというのは本質から目を背けて解決を遅らせる事だと思います。
人の本質的な課題を常に実践を通じて探求し、過ちで明らかになる本質的な課題から目を背けず、それを乗り越える能力を信頼できる仲間と耕し・育む事が、個人のWell-beingの実現への行いと思います。

まとめますと、まずは個人の自発的な発達・成長意欲を喚起する事、それら自立的な取り組みを循環的に高める機会や場を提供する事が組織マネジメントの課題だと思います。

良い社会を築くだけでなく、ビジネスを通じて個人、組織、社会がより高い徳や志に向けて発達・成長を促す機会や場であり、それに向けて組織や社会を常に進歩させてゆくのがポジティブ・オーガニゼーション・デベロップメント(Positive Organization Development)という事なのです。

 

|企業として『Well-being』を推進する効果と必要性について

─ 2つ目の質問としまして、企業としてWell-beingを推進する事での効果・推進しない事での弊害と、企業としてWell-being推進に取り組む必然性について西川先生のお考えをお聞かせいただきたいと思います。

現実はもっと複雑だと思いますが、まず挙げられる弊害としては、自身の本心とは切り離して組織の求める役割に忠実な人が増えていく事により、異論が表面化する可能性が低くなり、企業目標であろう繁栄が持続する事業のための本質的な取り組みを妨げてしまう事になると思います。
もちろん、個人レベルで今のままでは良くないと意識できているとは思いますが、依存的な規範を組織で強く共有する限り、自分達の意思で組織を硬直させていると言えるのではないでしょうか。

─ 個人のWell-beingを推進していく事で生まれる効果はその反対、つまり異論も含めた様々な知識、知見が組織に入ってくる、その結果、新たなイノベーションが生まれやすい状態が出来上がっていく、という認識で宜しいですか?

はい、そうですね。
最近オンラインで参加した海外カンファレンスのゲスト達が、いわゆるDiversityに対立する態度として、Extraction(抽出・抜粋・生まれや血統)、つまり「人は既存の判断を正当化する傾向があり、自分達の判断に合う人や何かをより好みしている」という主張をしきりに使っているのが気になりました。
明確な判断基準が無く、問い直す事も無いまま、組織がいわゆる「仲良しクラブ」になってしまう点で面白い考え方だと思いましたね。

日常に当てはめてみると、組織で働く「仲良しクラブのメンバー」は、「仲良しという仮面」の下の「素顔という仮面」がバレないか不安で、自己防衛と業務貫徹という2重の「仕事」をしなければならない事になります。
そうではなく、仮面を被る努力を違う方向に…例えばより仕事を良くするために議論をして互いの主張を認め合ったり、働く意義・意味を探求するような方向に向ける事で、仕事を通じた個々人の発達・成長の促進や組織として健全で社会的なインパクトを効果的に実現する方向に進むのではないかと思います。

─ 次に個人のWell-beingを組織として推進する事への企業の「必然性」について、西川先生はどうお考えになりますか?
積極的に実践すべきか、現状で行える範囲内で実践すべきか、あった方が良いのかなくてはならないのか。

まずはマネジメントの領域、特に人や組織の変革や発達・成長に関する領域では、いわゆる教科書的な理解の因果関係は想定できないように思います。

昔からODにはEquifinalityという一つの結果に導く無数の選択肢を意味する言葉があるように、求められている「果」は、当初想定していた「因」以外にも無数の可能性があるという事です。

─ Bに直結するA、というのではなく色々な手法があってその集大成としてBが生まれるという事ですね。

はい。
ですからWell-beingを「果」として効果的と証明された因果関係を応用するのは良いのですが、人の行いや振る舞いに高い普遍性を想定するよりも、多様な選択肢を想定して取り組む方が現実的なWell-beingを実現するのではないだろうかと。
それ以上に、取り組んで初めて意味がわかるという性格があると思いますので、他社の成功例をそっくりそのまま真似ても他社と同等の成果は期待できないのではないかと思います。

ただ、ここでひとつ気を付けていただきたいのが、まずは大前提として、「企業としてWell-beingを推進する」事が、指導・躾ける、あるいはEducateするものという認識であれば、やはり「おせっかい」だと思うんですよね。

─ いわゆる企業内研修ですとかセミナーという形でしょうか。

もちろん、多彩な機会を提供するのは必要だと思いますが、それに参加してそれをどう使うかは本人の自発的な意思に影響されます。

─ 企業組織としてWell-beingの推進を行う場合にはこういった研修やセミナーという自由な機会を設けるまでにとどめて、強制はしない、といったところでしょうか?

そうですね。
もちろん、それらが「自分の人生を豊かにするための機会である」という周知は必要だと思いますし、また、機会の提供方法も就業時間の中で取り組めるようにするのも必要だと思います。

先程のNHS(National Health Service)があるイギリスに限らず、海外では社会全体でより充実した人生を目指したUpskillを支援する、「学習社会」に動き始めているように思いますが、日本ではOECD(経済協力開発機構)のEconomic Survey of JapanやJapan Economic Snapshotで指摘されているように、日本の高齢労働者のLiteracy Skills(30から34歳を基準にOECD上位4カ国で比較した結果)はOECDの平均を下回って最低です。
つまり、社会的な必要性や学習・活用機会を含めて知識の更新やUpskillsを何かが妨げていると思います。

GOV.UK
https://www.gov.uk/become-apprentice
Chartered Management Institute
https://www.managers.org.uk/
OECD Economic Survey 2019
https://www.oecd.org/economy/surveys/OECD-Economic-Surveys-Japan-2019-presentation-Japanese.pdf

─ 更に言うと、それに対する意欲も低い?

いえ、意欲は高いと思うんですね。
例えば労働政策研究・研修機構の調査を見ると、Off-JTや自己啓発への取り組みは企業も個人も、どちらも多いです。ところが、日常業務に直接的には関わらないけれど、理解の基本枠組みを再編成するような知識や視点を手に入れるための機会はかなり抑えられているように感じます。

人材育成と能力開発の現状と課題に関する調査(企業調査)
https://www.jil.go.jp/institute/research/2021/216.html
調査シリーズNo.217
人材育成と能力開発の現状と課題に関する調査(労働者調査)
https://www.jil.go.jp/institute/research/2021/217.html

─ 言い方を変えますと、社内研修などで得た知識や参加意欲は評価されるけれども、それ以外の場で得た知識や参加意欲は組織的に評価されないというような…

そうですね。
例えば、高度成長期のマネジメントの一つに、各企業が競争優位性を高めるために各企業内独自の研修を高度化させる事で、競争優位性を実現し、高度人材の流出を防いだという説明があります。
極端な見方をすれば、引き抜かれて同業他社で仕事をしても通用しないような独特な技能や形成方法にしていくわけです。

働く側にしても、長期的な人生の展望を描き自分の技能の市場価値を想定して他の可能性を模索すると言った事はなく、決められた社内基準で長期的に技能を蓄積・高度化する事が報われると説明され、企業側としても、人事を中心に技能の分布と長期的展望に沿った戦略的な技能形成の促進ができるので、競争優位性を高めることに効果があったと説明されてきたように思います。

─ 新卒で入社して自社のカラーを浸透させた方々のみで組織を構成するイメージですね。

そして相当早い段階でその中からエリートを選抜して、エリートは現場に行かずに組織運営や事業の専門家になるために企業独自の集中教育を受ける事が一般的になされてきたように思います。
その結果、極端な例ですが、営業経験が全く無い営業本部長さんの事例を聞いた事があります。
営業現場の人はおそらく1円2円の世界にいるのですが、営業を知らないエリートはデータを駆使して論理的な分析で合理的な戦略を立案するので、認識がずれるのは必然ではないだろうかと。

─ そして次第に相互のギャップが大きくなっていく、と。

ですから、自分達の組織はどのようなビジネスを通じて持続・繁栄する社会の実現に貢献するかという問いに対して、自分達で定めた事業理念や徳、志を実現する方法を無数の実験から発見・創造していけばよいのではないかと。
そして日常実践の中で直面する困難を乗り越えることで、理念や志に確信が生まれて、より高い水準を目指す意味が理解できるのではないでしょうか。

 

|現在行われている企業の取り組み事例とWell-beingの関係性について

─ 最後に3番目の質問として、現在行われている企業の取り組みと個人のWell-being推進との関係性についてお聞きします。
ここ数年で社員個人のWell-beingを推進する事を目標に掲げている企業も増加傾向にありますが、具体的な取り組みとしては前例が少ない事から既存の施策に当てはめるといった状況にあるかと思います。
西川先生のご研究の中で、現時点で行われている企業的な取り組みのうち、個人のWell-being推進には繋がりづらいのではないかと感じた取り組みとして何が挙げられますか?

そうですね、一番大きなテーマであり、多くの人の関心を集めているけれど、論理的な説明ができていないと感じるものの一つに、「リーダーシップ」があると思います。
勇敢だが優しいヒーローのようなリーダーがビジョンを掲げ、カリスマ的に人々を魅了して夢に向かって周りを鼓舞する。
そういったリーダーを育成すると言うものです。

─ いわゆる「リーダーシップ研修」のように、テーマとしては多く掲げられているけれども、先ほどのセルフ・リーダーシップが確立した上での取り組みではないから、というイメージでしょうか?

はい、そうなんです。
前提として、本来のリーダー育成の目的は、徐々に能力を高めるリーダーが、次のリーダーを生み、また次のリーダーを生むというように、メンバー内から次々とリーダーを輩出する機能を持ち、循環的なリーダーの輩出によって持続的に繁栄する社会・組織作りに貢献する事なのではないかと思います。

ところが、 リーダー育成研修の例として、ソーシャルアントレプレナー、ソーシャルイノベーターに類するリーダーを大学院で育成するプログラムがありますが、ここに参加する人達は既に「リーダーとしての活動を実践している人」が来ていて、その活動をより効果的にする方法を実践家と研究者が探求する場になっていると思います。
その点では何ら問題はないのですが、これからリーダーとしての活動を実践し始めたいと思っていて、そのためにどこでどう学べば良いのか探している人達にとっては参加の機会が少ないように感じます。

また、企業事例としてよく見聞きする取り組みとして、取り組みの成果目標が客観的に測定できるように、Well-beingを特定の公式に基づいた達成実績として、BとかB+とかで可視化するものがあると思います。
これ自体も問題は無いのですが、基準となる達成目標値が定められると、本来の実施する目的は置いておいて、達成目標値にいかに最小努力で到達するかに意識が向かいがちになってしまうかと。

 

─ スコア達成が目的になってしまうという事ですね。

はい。
単純なことですが、アセスメント測定と、Evaluation評価は、別物のはずです。

ハーバード・ビジネスレビューによれば、エンゲージメントリサーチにも同じ事が言えるかと思います。
エンゲージメントを達成成果として指標化すると、エンゲージメントが達成目標値になり、本来の個人が仕事に取り組む態度を示すものが成果管理指標の一つになってしまう事で、本来目指していた個人の発達・成長と組織の繁栄との繋がりが無くなってしまうと思います。

また、同じ事は人事管理をする側にも同じ事が起こるのでは無いでしょうか。
人事管理者の成果報酬基準としてエンゲージメントが重要視されると、個人の働く意義を高めるよりもスコアを上げる事が重要な目的となってしまうからです。

─ 決められたスコアに対して働きかけて、それが基準を達成すればもう…

それでいい。
何の為にするのか?というのが抜けてしまいがちなのではないかと。

─ ただ、やはり実施した取り組みの効果を判断する上でも数値化、可視化して把握したいという希望があるのも企業側の現状かと思います。

それも当然だと思います。
「Well-being」でも「エンゲージメント」でも、 結局は「自分の幸せ」があり、その上で心の底から仕事に取り組む事が重要なので、ひとつの提案としてODのSocio-Technical Systemsの手法である、“ものさしを自分達で作る”事が効果的に思います。
具体的には、実際にしている仕事を測定するものさしを自分達で作り、その測定結果から自分達が取り組みたい仕事を構想して、収入や働き方を含めて再構築する方法です。

Biography of Eric L.Trist (1911 – 1993) from the Archives in Modern Times Workplace
http://moderntimesworkplace.com/archives/archives.html

─ 初めに「個々人が自分に合わせたものさし」を作り、その集合体として「組織に合わせたものさし」が出来上がってくると言ったところでしょうか?

はい。
まずは個人、次に職場やチーム、そして組織全体に広げてゆけば良いと思います。
単純なようですが、組織全体を巻き込み、複雑・反復するというものですので、まさに組織開発を全体的に実践する事になると思います。

 

─ そう考えると現状は「組織に合わせたものさし」を作る事がメインになっている。
逆に言うとその前提にある「個々人が自分に合わせたものさし」を作る事がない状態なのかと思います。

ですから少々乱暴かも知れませんが、まずは「組織側は承認するから、自分達で作ってください」と。
もし紛糾して作る事ができない場合、Well-beingに取り組む以前に、組織開発の視点から個人が自発的に発達・成長する能力を育むための取り組みや組織内の人間関係を見直さなければならないと思います。

─ 日本企業における「Well-being推進の取り組み」はまだ発展途上かと思われますが、最初の一歩目として注力すべきなのは「個々人が自分に合わせたものさし」を作る、ないしはそれをゼロからセルフ・リーダーシップに昇華させていくまでの過程である、と。

そうですね。

あとは「育てる」から、ふんだんに「育つ」機会を提供・活用する…例えば制約要因を緩めて、いわば本来の自分を出せるように態度・マインドセットを切り替えることが重要に思います。
そうすると「各々が好き勝手な事をして、組織が混乱するのでは?」という恐れはあるかもしれませんが、トップの人達が失敗を含めた挑戦を通じて人間的な発達・成長に取り組んでいれば、それを生き方の範例として見習い、次第に組織内全員が自分の範例を作る事ができるようになると思います。

すでに持続可能社会に向けて、ビジネスが社会変革のエージェントとなり始めた現状では、トップリーダーやマネジャー達は、組織や企業の内側ばかり向かずに、見えない外部の利害関係者を巻き込んで、新しい価値を創造する使命を求められていると思います。
深遠な使命に向けて、謙虚に、しかし大胆に取り組み続けるリーダーが、そして共に取り組み続ける人達が、今こそ求められていると思います。

─ ありがとうございます。