|プロフィール
氏名:藤本 哲史(Fujimoto Tetsushi)
所属:同志社大学 政策学部 教授
研究テーマ:社会学、家族と仕事のインターフェイス
社会学の視点から働く人々の家族生活と仕事の関係について研究を行っており、ワーク”ファミリー”バランスの重要性について言及。その人個人のワークとライフのみならず、周囲の「重要な他者」の存在を含めたワークとファミリーのコンフリクト及びエンリッチメントの課題解決が重要であることを提唱している。
─本日は、藤本先生が強調する「ワークファミリーバランス」、「ワークファミリーエンリッチメント」の詳細や、サードコミュニティがそれらに与える影響などについてお話を伺ってまいります。どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
|「ワークファミリーバランス」と「ワークファミリーエンリッチメント」とは
─1つ目の質問です。厚生労働省が掲げる「ワークライフバランス」というものがありますが、藤本先生が強調されている「ワークファミリーバランス」、「ワークファミリーエンリッチメント」の違いについてお聞かせください。
まず「ワークファミリーバランス」は、「ワークファミリーエンリッチメント」とイコールではないのです。
「ワークファミリーバランス」と「ワークライフバランス」との違いをお話ししますと、「ワークファミリーバランス」とは、読んで字のごとく仕事と家庭生活との両立を指す言葉なのです。つまり、ライフを「家族」に限定しているわけですね。
「ワークライフバランス」におけるライフというのは範囲が広いわけです。その中に家庭生活も含まれますが、例えば趣味や余暇、コミュニティ活動であるとか、様々なものが含まれます。つまり、「ワークライフバランス」とはワークと様々な活動を含むライフを総合的に調和させようとするもので、特に政府はそのあたりを狙っているのだと思います。
私は「ワークファミリーバランス」を好んで使います。なぜかというと、「ワークとライフをバランスさせる」というのは具体的にどういうことか見えにくいと思うのです。むしろ、ワークとファミリーに限定すれば、より範囲が狭くなりますし、ファミリーといっても子育てなのか介護なのか夫婦関係の話なのかによって、そこにも広がりはあるわけです。つまり、より家庭生活に特化しているという意味では、私は(ファミリーの方が)わかりやすいですし、自分の研究をする上でも、個人的にファミリー・家族が働く人々にとって重要な存在だと思いますので、そちらを使っているわけです。
このあたりが、ライフとファミリーの違いですね。
エンリッチメントとは、片方の生活領域の経験ともう一方の生活領域の経験が相互に質を高めあうものであるという考え方です。つまり、バランスとエンリッチメントは少し違うものなのです。どちらも犠牲にならないように両方ともちゃんとできるようにすることを「バランス」という比喩で使っていますが、「エンリッチメント」とは相互の高めあいなのです。
─一般的には「ワークライフバランス」というとても大きな括りになりがちですよね。そこから、もっと個人の働いている方々にフォーカスすると、ワークとファミリーを重視して見ていく必要があるということでしょうか。
そうですね。
一番大きいものはたしかに「ワークライフバランス」だと思うのです。ただその中に具体的に「ワークファミリーバランス」があって、先程お話ししたようにさらにその先に介護の問題なのか育児の問題なのかという、特化された問題があるということです。
|サードコミュニティはワーク・ファミリー間のエンリッチメント向上に繋がる可能性がある
─2つ目の質問です。「ワークファミリーバランス」、「ワークファミリーエンリッチメント」を実現するためには、いわゆるワークとファミリーの間にあるコンフリクトが大きな課題になるかと思います。そちらの間に、全く関係のない「サードコミュニティ」を置くことで、コンフリクトの解消ないしはエンリッチメントの向上、その2つに繋がる可能性はあるのでしょうか?
エンリッチメントの向上については、かなり可能性があると思います。
エンリッチメントとは、生活領域間である経験の相乗効果、高めあいです。ワークの経験からライフやファミリーの経験、それに加えてそれ以外の領域活動における経験が加わると、2つであったものが3つに増えるわけです。つまり、サードコミュニティを持つことがワークの経験の質を向上させるかもしれない、ファミリーの経験の質を向上させるかもしれない、ということです。
しかし、コンフリクトの話になってくると少し違います。
コンフリクトとは、仕事を優先すると家庭のことができなくなってしまう、逆に、家庭のことを優先すると仕事が疎かになってしまうことを指します。そういった相互のぶつかり合いのことをコンフリクト(葛藤)と呼びます。ですから、このコンフリクトを解消しようと思うと、仕事の仕方などを具体的に変えていかないといけないし、家庭生活であれば、例えば役割分担をちゃんと明確にするだとか、具体的な緩和策を設けないそう簡単には低下しないでしょう。ですからサードコミュニティを設けたからといって、おそらくワークの役割、ファミリーの役割はそう簡単には軽減されないでしょうね。むしろ時間がサードコミュニティに持っていかれてしまう場合もあるので、コンフリクトの解消に関してはそう簡単ではないだろうなと思います。
先程も申しましたように、エンリッチメントを通して経験の範囲が広がるわけですから、役割の数が多いほどエネルギーや時間が取られるという見方は昔からあるのです。しかし、このエンリッチメントの考え方はより新しく、むしろ役割が多いとそれだけ経験できる範囲が広がるので、全体としては質の向上に繋がるという可能性もあるとも言われています。
まとめると、エンリッチメントが向上する可能性はあります。しかしコンフリクトに関しては、サードコミュニティを設けたからといって、そう簡単に解消されるものではないと感じます。
─サードコミュニティだけでなく、例えば家庭での支援・理解が、ワークであれば企業・組織が、例えば時短勤務でより時間を取りやすくするなどのサードコミュニティ+αの周りの後押しがあって初めてコンフリクトが解消に向かっていく。そういう解釈でよろしいですか?
そうですね。
これまでのワークライフバランス施策と呼ばれるものは、一般的にはワークの負荷を下げることを目的にするものが多かったと思います。いわゆる制度的なアプローチです。制度的なアプローチによって、いかにワークの負担を軽減し、それが家庭生活へとしわ寄せをしないようにするのか。制度的になかなかファミリーの部分、家庭生活の部分の手入れをするというのは簡単ではありません。個々の家族は違いますから。そういった意味では、ワーク、職場の方の制度的な対応が多くなりがちなのだろうと思います。
─3つ目の質問です。企業が従業員の「ワークファミリーバランス」「ワークファミリーエンリッチメント」に取り組む根底には、やはり生産性の向上を据えたものがあるかと思います。家庭以外のもう一つの場所(サードコミュニティ)での社外活動は、生産性という意味では間接的な関与になる取り組みだと思いますが、企業としてのリターン、メリットはどのようなものが挙げられるでしょうか?
先程お話ししたエンリッチメントには2つの形態があります。
1つは情緒面。簡単に言えば、1つの生活領域でハッピーでいられるともう一方の領域でもハッピーでいられるということです。トータル的に自分の生活の質が向上します。
もう1つは、スキル面です。片方の生活領域で身に着けたスキルをもう一方の領域で活用することによって、より良くその活動を回すことができるようになるという点です。
ワークとファミリーに加えて、サードコミュニティがあるということは、サードコミュニティ・仕事・家庭、それぞれへのスキルや情緒へ流れるパスが増えるわけです。それが最終的にどこに繋がるかというと、本人の活力です。
生産性向上に役立つというと、企業サイドから見るともっと劇的な生産性の向上を期待したいところはあるのかもしれませんが、結局は「ワークファミリーエンリッチメント」の効果は、「個人」にあるわけです。したがって、その個人がより活力的になり、その活力を活用して仕事により取り組むようになれば、それは当然生産性に反映されるだろうという考え方をします。
|サードコミュニティは、効率的な時間配分への意識に繋がり得る
─生産性の向上という意味でサードコミュニティがあることで、逆に時間の概念的にワークとファミリーにかける時間が分散してしまう。それがひいては逆にコンフリクトや生産性の低下に繋がるというネガティブな部分もあるのではないかというお話しもあります。
藤本先生の視点から見て、時間が割けなくなり全体的に分散してしまうという意味で(バランスの)循環が低下してしまうものなのか、むしろ時間が分散することで、よりそれぞれの場所での時間の使い方や捉え方がより精力的になるものなのか。どちらに寄与するものなのか、何かお考えはありますか?
ひとつのプラスの効果として、効率的な時間配分に繋がる可能性はあると思います。2つの役割だけよりも、3つにすることで、「この3つを上手く回さなくては」という意識が働くので、当然どうすれば効率的にできるだろうか?と考えると思います。
逆に、もしもサードコミュニティがなかったら、ひょっとしたら(仕事が)ダラダラでもいいかという気持ちになってもおかしくはない。
サードコミュニティだけではなく、ファミリーがあるから今日は遅れて帰るわけにはいかないからちゃんと時間までに終わらせようという発想になると思うので、やはり効率的になると思うのです。
ただ、どのように効率的に時間やエネルギーの配分をすれば良いのかは、ある意味研修や事例などで教えてあげる必要があります。例えばわかりやすい事例を聞いてもらうと、「なるほど、そういう風にやれば自分でもサードコミュニティを有効活用できるんだ」という具体的なイメージを持てると思います。具体的な事例として落とし込むことで、自分の仕事と生活の質を向上することができます、と示してあげるのも大事でしょう。
─企業として取り組む場合、時短勤務や有給取得を推奨したりなど、制度的なものだけではなくて、効率的な時間配分のロールモデルを企業が事例として持ち合わせた上で社員の方に発信する。つまり、企業としての全体的な後押しというものが重要になるという認識でよろしいでしょうか?
そうですね。
中期的に見ると、やはり職場の風土を変えていくことになるでしょう。それが当たり前であるという風土にしていかないと、一過性のものになってしまいますから。もう一つ付け加えると、サードコミュニティを活用した全体的な質の向上とは、上司や管理職にも当てはまるのです。ですから、管理職がそういう働き方をして活き活きとしていなければ、部下は真似をしようと思わないでしょう。
もちろん、仕事上でのロールモデルにもなりえると思います。
ライフを大切にしている、サードコミュニティを大切にしているからこそ、この人はこういう働き方をしているんだという視点で部下から見られることは大事だと思いますし、逆にワークしかない上司というのは、なかなかロールモデルにはしたくはないですよね。ですから、率先して管理職がサードコミュニティを取り込んだ生き方をするというのが、ひとつ重要なきっかけになっていくかもしれません。
「右にならえ」的に制度を取り入れている企業はありますが、それが機能しているかと言われると、必ずしも機能しているとは考えにくい部分もあります。
マイナーな例かもしれませんが、上司に対して、「自分の時間はあるけども、やることがない。何をやればいいのかわからないんです」という若い部下がいるそうです。そんな自分の部下に対して、上司がまずは「一週間に1回こういう時間を、こういう活動をすると見方が変わるかもしれない」とアドバイスをするというケースもあるそうです。
また、「音楽会に行ってごらんよ」とか「美術館に行ってごらんよ」といった形で、ライフをリッチにするアドバイスをする。音楽会や美術館というのは、ある意味サードコミュニティ的な要素がありますよね?つまり、サードコミュニティと言ってしまうと「何それ?」となってしまうのですが、あなたの生活の中で実現しうるサードコミュニティにはこんなものもあるのでは?という上司がアドバイスをしてあげるというケースもあるそうです。
こういうものは制度レベルの話ではないのです。ある意味上司と部下の間の信頼関係、人間関係の中で生まれるものなので、企業が施策を導入したからといって、こういった関係が生まれるものでもないと思います。
|時間の使い方の提示は、一種の「人材戦略」に
─人事部の方にお話しを伺った時に、テレワークや時短という形で時間の余裕ができた分、社員の方からのお声で時間が余ってやることがない、どうすればいいのか?という新たな課題が挙がっているというお話しも聞いたことがあります。
まさにそうで、これは企業側が提供する研修が重要な情報源になっていくのではないかと考えています。
昔、ある企業にワークライフバランスの話を研修でお話しした時も、参加者の方から、時間ができるとパチンコぐらいしかやることがないという話を伺いました。そこにすごく矛盾を感じました。つまり、時間ができたらもっとこれもやってみたい、ではなく、やりたいことがない。そうなると「ワークライフバランスっていったい何?」となりますよね。これは若いころから醸成していかないといけない、と感じています。
─定年を迎えてもやることがないという話も聞きますが、定年に限らずどの世代のどのような方にも起こりうると。
以前、50代問題の話をさせてもらったことがあります。いわゆる、管理職定年を迎えた方々のモチベーションが低下する問題です。最終的に行き着いた結論は、「50代問題というのは40代問題であり、30代問題でもある」ということだと思うのです。
つまり、30代の頃から50代になったら、どういう風に働きたいか生きたいかを想定したうえで30代を生きていかないと、いきなり50代になって「時間ができました、好きなことをやっていいですよ」と言われても、「何やればいいんですか?」となってしまう。ですからこういった物事を考える場合には、ある程度長い時間やスパンを想定しないといけないのだろうと思います。
─例えば企業の研修というとお仕事面やビジネス面というイメージが強いですが、先程のお話しのような上司の方が部下の方のロールモデルとして時間の使い方を提示するような研修を行うことも、今後必要になり得るということでしょうか。
あまり企業がやるべきことではない、という見方をされがちな気もしますけれどもね。あるいは福利厚生の一環としてみるところもあるかもしれません。
先程、白石さんがおっしゃった生産性という視点と関連させて考えていくと、これは「戦略」になるのだと思います。「人材戦略」です。
─長い目で見た時の、企業の存続という点でのひとつの「戦略」であるということですね。
そうです。ただ、これだけは注意していただきたいのですが、すぐに結果は出ないのです。
つまり、生産性が1か月で急増するということはありませんし、すぐに大きい数字が結果に出るようになるというものではないのです。ただ、中長期的に継続することが、その組織の基盤に繋がるという点において大事なのではないかと思います。
─ありがとうございました。
参考文献『日本労働研究雑誌 2011年、論文 Today -1月号(No.606)』より
論文Today「仕事と私的生活のポジティブな関係性」藤本哲史